LEFスピンオフ『人魚の歌』
「ハァ…ハァ…」
どうしてバレたんだろう?
この街に来てまだ誰とも話してない。
それなのになぜ?追われるハメになったのだろう?
だが、今はそんなことを冷静に考える余裕もない。
小雨の降る中、必死で走り続け、気がついた時には、すでに森の中に迷い込んでいた。
いつのまにか肩口から血が滲んでいた。
どこかに引っ掛けたのだろうか?
痛みは感じない。
そのくらい神経が興奮しているのがわかる。
暗い、寒い、怖い、息が上がる、胸が苦しい…
「だれか…たすけて…」
走りながら、誰にも届かない掠れた声でつぶやく。
その時、森の奥にかすかな光を見つけた。
幼い頃の父の言葉を思い出す。
『暗闇で迷った時は、少しでも明るい方に向かって進むんだ。大丈夫。出口は必ずある』
残された、わずかな体力を振り絞り、その光の中に飛び込んだ…
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「さてと…」
夕食も済んだし、食後のコーヒーを入れるために、いつものようにお湯を沸かす。
工房の外は小雨が、シトシトと降り続いている。
こんな夜は、森の動物たちも静かで、聞こえてくるのは優しい雨音とお湯を沸かす炎の微かな音だけだ。
ーバタンー
「なんだ!?」
激しい音。うめき声。
玄関を覗くと、若い女が倒れていた。
小雨の中、この森を走ってきたのだろう。
全身ずぶ濡れで、体には泥や枝葉がまとわりついている。
肩口には血が滲んでいた。
「たす…けて…」
どうやら意識はあるようだ。
慌てて玄関を締めて、半ば抱えるようにして部屋の奥まで連れて行った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
とりあえず、着替えと止血用のタオル渡して風呂場で着替えてもらう。
その間に、入れかけていたコーヒーをやめて、リラックス効果のあるハーブティを入れる。
最初こそ取り乱していたものの、着替えを済ませて戻ってきた頃にはだいぶ落ち着いていた。
「とりあえず、着られる服があってよかった。お風呂も沸かしておくから、後でゆっくり浸かるといい」
「ありがとう…何から何まで…急に飛び込んできたのに…」
「いいさ、ちょうど退屈してたところだし。オレはぴょこ丸。この工房で武器職人をやってる。アンタは?どうしてここに?」
ハーブティを注ぎながら、とりあえず事情を聞く。
名は『ハルナ』というらしい。
街はずれを歩いていたところ、突然暴漢に襲われて、ここまで逃げ込んできたらしい。
追われていた理由が曖昧だったが、まあ、事情もあるのだろうと思い深追いはしなかった。
彼女の警戒心が解けた頃を見計らって
「さて…もう夜も遅い。どうせ行くあてもないだろうし、今日は泊まっていきなよ」
「いいの!?」
「このまま外に放り出すわけにもいかないしね。ただ、ひとつだけ『お願い』があるんだ…」
「なに?私にできることなら…」
「よかった!その『短剣』をじっくり観察させてくれないか!」
やや食い気味に返答する。
腰に携えられた『それ』は、武器職人としては見逃せないほど美しい装飾が施されていた。
彼女も始めは驚いていたものの「それでよければ」と、短剣を貸してくれた。
「さ、オレは『コイツ』をゆっくり見させてもらうから、今のうちに風呂に入っちゃうといい」
血も止まったみたいだし、お風呂に入ればこれまでの緊張も少しはほぐれるだろう。
「それじゃあ、お言葉に甘えて…」
風呂場に入っていくハルナを見送るまでもなく、今あずかった短剣を持って作業用のテーブル前に腰掛ける。
改めて見ると、とても丁寧に手入れがされている。
さぞ大切なものなのだろう…
(これは…いいものだ…)
ひさしぶりにニヤけているのが自分でもわかった。
〜つづく〜